庚申塔に興味を持ったきっかけ
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「庚申塔」「庚申塚」という言葉はよく耳にしていたが、具体的にどんなものなのかは全く知らなかった。
ところが、平成19(2007)年9月2日、越谷市の歩こう会「自遊の会」に臨時参加した時、初めて庚申塔を知った。
この日途中で立ち寄った流山市立博物館でたまたま庚申塔に関する展示会「流山庚申塔探訪」(H19.7/15〜9.17)が行われていた。
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流山市博物館(H19.09.02) |
入口には、大きなパネル写真が飾られて、写真に石塔が写っていた。更に注意して見ると、その塔の下の方に三猿が彫られている・・・・。三猿と言えば、何度も行ったことのある日光東照宮にある「見わず、言わざる、聞かざる」の三猿しか無いと思っていた。
「え? 石塔にも三猿があるの?」とビックリ。これが探し始めたきっかけである。
日光東照宮神厩(三猿が彫られている厩)は、寛永12年(1635)に建てられたものでるが、この日光の三猿と庚申塔の三猿はどちらが早く刻まれたのかも興味があった。
以来、各庚申塔の建立日も注意してチェックすることにした。
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庚申塔の数と所在地 |
千葉県流山市には、文字塔と刻像塔とあわせると、332基あるそうだ。
ならば春日部市では幾つあるのだろうか?、また何処にあるのか?、知りたくなった。
しかし、市立図書館を訪れ資料を探してみたが見つからず。
手掛かりを得たのはただ一つ、「備後の丸彫庚申塔」の案内板で、そこには、「市内でも江戸時代を通じて二百数十基余りの庚申塔が建てられました」と書いてある。
しかも、この「二百数十基余り」というデータは、案内板の末尾に、
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「昭和六十一年 市指定有形文化財 春日部市教育委員会」 |
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と書かれていることから判断し、「2百数十」という数字は、平成17年10月に春日部市が隣の庄和町と合併する前の数字で、合併後の旧庄和町分を含めれば数はもっと脹らむのだろうな・・・・?」と推測する。
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更に、流山市との比較において数を推測してみた。 |
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流山市 |
春日部市 |
比 |
推定塔数 |
出 所 |
人口 |
156,073人 |
238,570人 |
1.53 |
508基 |
統計局H22.03.31調査資料より |
面積 |
35.28km2 |
65.98km2 |
1.87 |
621基 |
統計局H21.10.01調査資料より |
(注)推定塔数は流山市の332基に比率を掛けもの
春日部市の人口・面積は、合併した旧庄和町を含む。 |
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結果は、「2百数十」に300基前後の数が上乗せされ、上表のように春日部市には5〜600基はあってもよいことになる。
当時の人口分布・文化は流山市と春日部市では異なっていたと思うので、そう単純な比較は出来ないが、人口と面積から割り出した数字はこんなに脹らんでしまった。
とはいえども、いざ探してみると、なかなか見つからない。
そして、地道に自力で探し始めた結果がこのホームページに発表した通りですが、今後も地道に探して適宜アップしていきたいと思っていますので、ご興味がありましたら引き続き当ページを開いてみて下さい。
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興味深いところ |
庚申塔を探し求める面白さは、塔に刻まれている刻像・三猿の形、建立した時代を知ることで、地域の歴史を知ることにあります。
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また、「2百数十」と教育委員会が発表しているからには、その根拠となるデータが何処かに保存されてあるのであろうがその資料が見つからない。 その上、歴史を知る上で貴重な史跡であるにもかかわらず、市は適切な史跡保存の処置を怠って放置している。
このまま放置していると、宅地造成その他の理由で更に処分されてしまったり風化がどんどん進み、刻まれた文字等が益々読めなくなってしまう現実を憂い、学術的な知識はゼロではあるが、写真の形式で保存し幾らかでも後世の人達に参考となれば・・・・という思いあり探求している次第です。 |
ちょっと一休みしましょう!! |
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お願い |
あまり間口を広げても纏まりがなくなると思うので、春日部市内の庚申塔を主体に集め、市外で見つけた庚申塔は、「他地域の庚申塔」のページに逐次発表させていただこうと思っています。
しかし、個人の力では限界があり探しきれない。そこで、皆さんにお願いですが、庚申塔を見つけた場合は、お手数ながらお知らせいただければ幸甚です。その際は、下部のメールボタンをクリックしてメールにてご連絡いただけると有り難いです。どうぞ宜しくご協力をお願い申し上げます。
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