【他地域の庚申塔】
東京都世田谷区
世田谷区立郷土資料館内の庚申塔 4基
 
Q & A
下記3点につき令和3年7月2日にFAXにて世田谷区立郷土資料館に質問した結果、令和3年7月27日に電話による回答がありました。ご参考までに下記します。
 
 
Q 1 
[左側面]/[右側面]の記載が、実物と左右逆ではないか?


 
庚申塔本体を基準にした右・左で表記したもので正しい。 
コメント
説明を受けてから調べた結果、宮代町・庄和町(現春日部市)・春日部市・流山市の各教育委員会は、庚申塔を見ている側から右・左を表記していました。逆に、世田谷区教育委員会の説明のものは見つかりませんでした。
見る側から右側・左側とするのが一般的ではないかなと思います。 
 
 1.宮代町教育委員会 川島庚申塔文化財調査報告書 (平成 17 年 9 月 13 日)
上述「川島庚申塔文化財調査報告書」 (PFFファイル) 」P15 より抜粋
 
 2.書 籍 
 「石像物Ⅰ-南桜井地区の調査」 埼玉県庄和町教育委員会発行
  同書P27 拡大は こちら
 上記右の説明文は、本ホームページ掲載の水角神社の庚申塔(6基)の内のです。
 いずれも現物は、説明文通り,見る側からみての左右です。
 
 3.書 籍 
 「春日部の庚申塔」 春日部市教育委員会 春日部市文化財調査委員会発行
  同書P106 拡大は こちら
 上記右の説明文は、本ホームページ掲載の備後須賀稲荷神社路傍(2基)の内のです。
こちらも、現物は、説明文通り,見る側からみての左右です。
 
 3.書 籍 
 「流山庚申塔探訪」 流山市教育委員会 編集発行
  
  同書P203 拡大は こちら
 上記書物には、寸法の測定定義等がされているが、どちらを左右として記載したかの説明は見つかりませんでした。
そこで、流山市にある庚申塔の掲載記事を探したところ、産業安全パラダイム研究所さんのホームページの 「流山市の道標(明治以前)」 のP6の庚申塔が「流山庚申塔探訪」のP203の【211】に記載された庚申塔であることが判明しました。

産業安全パラダイム研究所
さんの
ホームページ
   
  「流山市の道標(明治以前)」 
   拡大は こちら スクロールしてP6をご覧下さい。
こちらのページに掲載された庚申塔の写真は、「流山庚申塔探訪」P203の右欄で説明する左右と一致していました。
Q 2 
右端の庚申塔④の銘文で「右り」「左り」との記載がありますが、「り」は刻まれていないようです。
また、「左」は「左り」と書いたとしても、昔の人たちも「右」は「右り」とは書かなかったかと思いますので「り」は刻字されていないのではと思います。
 
実物には「右り」「左り」と「り」は刻まれています。
また、古文書には「右り」「左り」と「り」が使われいることもあり、昔は「り」を付けて使用したこともありました。
 
 
コメント
古文書に「右り」「左り」と「り」が添えられているケースは知りませんでした。
現物の庚申塔には、私の写真を拡大しても「り」が刻まれているようには見えません。
でも、刻まれていると専門家が仰るのでから、確かに「り」が刻まれているのでしょう。
【左側面】「左り」の「り」の字が見つからない 
【左側面】「右り」の「り」の字が見つからない 
Q 3 
左端の左端の青面金剛立像①の銘文で「奉建立 庚申」と記されていますが、「」の文字が見当たりません。
 
「右側面」の写真の右下端の切れた部分の手の下に「塚」の文字が彫られている。 
 
コメント
説明を受け指摘された箇所を拡大して見ました。
確かに、右手の下に「塚」の文字が見つかりました。
よって、当サイトの「彫りの内容」の「面右欄」の「庚申」を「庚申塚」に修正しました。


指摘され再チェックした拡大写真:
「塚」の文字が確かにありました。
右側面として紹介した写真 
 
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